■誇りと自信 不況で混沌としているが環境の時代である。緑豊かな生活を支えるのは造園業。次代を担う子供の成長に不可欠な季節感を教え、野生生物には棲家を提供する。日本庭園、公園整備、屋上緑化、校庭の芝生化、里山保全など時代の求めに応じ素晴らしい仕事をしてきた造園に最も必要なのは自信と誇りだと思う。
■NPO活動と社会参加 市民参加の時代である。都市計画法改正で、行政が独占してきた公園緑地の都市計画案を、土地所有者やNPOが提案できるようになった。造園業としてではなく緑の専門家として、地域で必要な緑の整備・保全を市民の立場で提案し、緑の必要性を地域社会で認めてもらう努力が必要と思う。地域の緑の将来像を市民参加で検討していく「緑の基本計画」づくりが、現在全国の都市で行われているが、御社は参加しているだろうか。
4年前になるが、愛知万博の計画公表後、名古屋を中心とした日本造園修景協会東海支部のメンバー数十名が、計画・自然回復・利用・市民参加の4部会を構成し、精力的に議論し、半年後にレポートをまとめ万博協会に提言した。経営者から若手までが、自然との共生というテーマの実現に向けて具体的な技術提案や仕組みづくりを行い、ホームページで公表し、造園の存在をNPO活動として主張した。このような行動力が求められているのではないか。http://member.nifty.ne.jp/JLAT/
■インターネットとホームページ 情報化の時代である。分厚い電話帳よりも、一発検索できるインターネットが便利だ。「造園工事、安い、都市名」のキーワード検索をした場合、御社のホームページは現れるだろうか。マンション管理組合理事長として造園業者探しで苦労した経験から、市民に焦点を当てた営業が望まれる。
■技術力の市民権 市民権が重要な時代である。造園業は生物を扱う。市民の目に触れる現場技術が重要だ。現場で剪定の理由を市民に表示しているだろうか。北国でNHKニュースに驚いた。落葉直前の街路樹剪定の様子を「冬支度」として放映。葉が路上に散在する前に始末する行為に市民として抗議した。仕事だけれども仕事だからこそだ。
落葉は秋の風物であり、コミュニティを育む緑の文化である。落葉前の剪定を冬支度とは、緑にかかわる者として黙っていられない。発注された仕事には違いないが、我々は緑の文化を継承していく立場ではないのか。造園の仕事だからこそ、それを主張すべきだ。
造園業が緑を求める市民側にいるのか、必要性の乏しい事業側にいるのか。樹木医の成功は、生物や市民の側にいることを名前が表しているからだと思う。誇り得る文化である日本庭園の技術が、街の緑づくりに生かされ、造園がふさわしい市民権を得る時代となることを求める。