徳島の人間は、根は悪くないのだが口下手で、自分の感情を素直に表現できない。自分自身では良く分かっているのだが、どうしても後手に回ってしまう所がある。その気性の大きな要因は、自然の豊かさにあると、県出身の写真家、三好和義の「楽園」をみてそう思った。己自身が自然となって、俗世から離れた世界に溶け込んでしまうのである。
関西方面から、大鳴門橋を渡って徳島に入ると、眼下には渦潮の絶景が広がる。かつては観潮船から眺めたものだが、本四架橋が完成してからは、真上から見おろせるようになった。ただし、橋上は駐停車禁止である。徳島に入って、阿讃山脈に沿って西に行くと、四国八十八ケ所霊場の一番札所、霊山寺がある。発心の寺であり、四国に住む者にとって永遠の命題である遍路のスタート地点である。かつて弘法大師が開かれた足跡を辿ることは、なぜ人が空間を移動するのか、移動する際にどういうルートを辿るのか、といった人間行動の原点を探ることであり、大変興味深い。
吉野川に沿って西へと進むと、川の北側の阿波町に土柱がある。文字通り浸食された土が柱状に並び、トルコのカッパドキアを思わせる奇景である。南岸に渡り、もう少し西の三加茂町には、国指定の特別天然記念物「加茂の大クス」がある。平野の中にポツンと佇むその偉容は、見る者を圧倒する。平野に独立して存在する巨樹は、全国的にも稀である。
さらに川を上ると、四国のヘソ池田町に達する。「攻めダルマ」蔦文也監督で名を馳せた池田高校は、町の中央部の丘の上にある。急崚な西山で足腰を鍛え、狭いグラウンドを駆け回った子供たちが、大海(甲子園)で大暴れする姿は、今でも脳裏にふつふつと沸き上がってくる。ふと川面に目をやると、夕陽を一杯に浴びながらかんどり船がこぎ出している。三好和義氏の、「藍色の楽園。ぼくのふるさと。」の言葉を思い出す。
ここから吉野川は川幅を狭くしながら、違った顔を見せ始める。大歩危・小歩危の景勝を横切り、山へ入ってゆくと「祖谷のかずら橋」がある。かずらを編んで作った吊り橋で、ゆらゆらと揺れながら渡り切るには、少し勇気が要りそうである。朝露にかすむ橋は、絶好の被写体でもある。
祖谷から剣山を目指す。ふもとの大剣神社から上は、徒歩またはリフトである。ここまで来たからには徒歩をお勧めする。細く険しい山中を歩いてこそ、山頂に立った時の喜びは大きい。この感情の変化こそが我々の行動の原動力であり、生きる源である。そしてそれは、造園と景観を考える上での原点でもある。山頂のクマザサを見て初めて、この貴重な自然を護るべき責務を感じる。楽園より出て、自己の原点を探り、未来への展望を拓く所、それが徳島である。同行2人、ここまで御加護いただいた弘法大師に合掌。
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